123456789101112131415161718192021222324252627282930
個別記事の管理-------- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
* Category : スポンサー広告
|
個別記事の管理2008-03-31 (Mon)
昨日の夜、私の母とダンナさんと私の三人で
焼肉屋さんに行ってきました。

父が入院中にずっと行きたがっていた焼肉屋さんに。

昨日は父が天国に旅立って二七日の日でした。

お父さん。焼肉美味しいな。きっと一緒に傍らで食べてたやんな。
スポンサーサイト

いつもコチラの記事を
静かに見守ってくださったり、応援、励ましをくださった皆様へ。

お知らせが遅くなってしまいましたが。

私の父が平成20年3月18日(火)午前6時37分に永眠いたしました。

前回の記事で書きました、点滴を日曜日(3/16)に中止して二日目の早朝でした。

主治医から土曜日の晩頃からそろそろだと言われ、ずっと病院に詰めておったのですが

親戚の伯父伯母やいとこも皆父を見舞ってくれて

憔悴している私と母を心配してくれこれからさきまだまだ長いんだから少し休めと促され、

月曜の晩一旦私はダンナさんと実家に戻り待機することにしたのです。

この時もしかして、と思っておりましたが

私の願いは父の最期の時には絶対母が側にいてやれるようにということ一つだったので

帰る際にしっかりと父の手を握ってから帰宅しました。


18日の朝実家で待つ私たちに母から携帯で連絡が入り
すぐに病院へ向かいました。(実家から車で15分程)

ナースステーションの前を駆け抜ける際に担当ナースが急げとばかりに父の病室の方を指差し

私は猛ダッシュで部屋に入りましたが
間に合いませんでした。

母からの連絡があった時はまだ早急な状態ではなかったらしいのだけど

ずっと側にいた母ですら異変に気付かぬくらいそれはそれは静かに

本当に眠るように静かに息をひきとったそうです。

私が病室に着くほんの一分前かそれくらいでした。

ベッドに横たわる父の顔は苦しい表情など一切ない安らかな寝顔のようでした。

肺癌手術から約4年3ヶ月の闘病生活から解放されて
最期は最愛の母の見守られて安堵の表情だったのだと思います。


父が旅立ってから2週間が経ちました。
まだまだ色々思う事があってなかなか受け止め切れていない私だったり
それでももう父のガンについて日々不安に思う事もなくなって
ぽっかり穴のあいたようななんか変な感覚の毎日で。

もう少し落ち着いたらもうちょっと頑張った父の事皆様に知ってもらいたい事とか
書いてみようと思います。

ずっと気にかけて応援して見守ってくださった皆様
本当にありがとうございました。

Return

* Category : 身内事(父のガン闘病記録。)
* Comment : (7) * Trackback : (0) |

ご冥福をお祈りいたします。 * by otama
何もいえませんが、
ただただ、ご冥福をお祈りいたします。

* by こうたった
のろさん、こんばんは。 
お父様のご冥福を心よりお祈りいたします。
何を書いても軽くなってしまいそうでこれだけしか言えなくてすみません。

ありがとうございます。 * by のろ
otamaさん。こうたったさん。へ^^
父の冥福を祈っていただいてありがとうございます。
お二人にはいつも見守ってくださり
応援いただいた事、本当に感謝してます。

父にもよく
お会いしたこともないネット上でのお友達からも
いっぱい応援してもらってるんやで!って
話したりしてました。
それを聞いて「そうか、そら頑張なあかんな!」と
励みになっていたんです。

そんなお二人に悲しいお知らせしなければならないのは
とても辛いんですが。。。
最期まで見届けて下さって本当に本当にありがとうございました。










管理人のみ閲覧できます * by -

* by ぴのこん
実はね、私の母方のおばぁちゃんも2月に癌で亡くなったんだ・・・。
今でも耳元で元気な声が聞こえるような気がする。
寂しさはこれからやってくると思うけど、お父さんが教えてくれたいろんなことを胸に、お父さんの分まで楽しく元気に毎日過ごしてね(^^) お母さんにもよろしくです。
心よりご冥福をお祈りいたします。

匿名さんへ^^ * by のろ
ずっと見守ってくれて
冥福祈っていただいてありがとう。
落ち着いたらまたそちらに癒しをもらいに^^
行かせていただきますね。

ぴのこんへ^^ * by のろ
ぴのこんのところも大変やったんや・・。
おばあちゃんの冥福お祈りします。

癌って憎い病気やな、、、。
癌こそこの世からなくなって欲しいよ。

>寂しさはこれからやってくると思うけど

これ、ホントそうやろな。。。
今はまだバタバタといろんな手続きに追われ
忙しくしてるから
これが落ち着いた頃どーーんと寂しさが来るんやろなTT
その時に母を支えてやることが今度の私の役目やね。
父に心配かけないように頑張るわ!

個別記事の管理2008-03-14 (Fri)
暖かくなってきました。今朝の部屋の温度は17度。

暖房器具を使わなくってもいいくらい。

春の訪れ目前というのに

父の状況は厳しいものになってきました。


父の入院記録。

前回の記事にも書いた次の日くらいから、さらに嚥下が難しくなって

その少し以前から病院の栄養士さんとも相談して食事のすべてをペースト状にしてもらっていたのだけど

それを食べるのも難しく誤嚥するようになり

2/29の朝ごはんを食べて後、むせてしまってとうとう口から栄養の摂取は出来なくなってしまった。

また、ムリして食べた食事の誤嚥によって気管の方に入ってしまった食事カスや水分で

肺炎を起こしてしまい39度近い発熱とともに痰が溜まりだして

呼吸の方も酸素吸入の量を増やしてなお苦しいものになってしまった。


通常、口からの栄養が摂れなくなった場合身体に直接チューブを入れて
栄養を入れる手段もあるのだけど

以前より主治医とも話し合っていたように

父の身体に負担になるような延命の手段は取らず
少しでも穏やかに過ごせるようにする為
最低限の水分補給の点滴(ポタコールR500ml)を一日一回と
肺炎を抑える抗生剤(100ml)を朝夕の二回のみで
2週間が経過しました。

この2週間で父の意識レベルは日に日に下がっていき
一昨日くらいから父の残り少ないエネルギーはなんとか自発的に呼吸することのみに費やされているようで
呼びかけに反応すること(わずかに頷いたり、まばたきをすること)もままならなくなってしまった。

昨日、ここ数日日に何度となく様子を見に来てくださる主治医より

今父に対しておこなっている最低限の点滴だが
一日の尿の量(バルーン装着)をみると点滴で入れている総量800mlの殆どが
体内に取り込まれることなく排泄されており

それでもなお、懸命に呼吸を続けていると言う事は点滴からの僅かの水分と
あとは自身の細胞の体液等を呼吸する為に消費しているのだと。

その言葉のとおりこの2週間で父の身体はありえないくらい痩せてしまって
見るも辛い姿になってしまった。

そんな状況を見て主治医は点滴を今週いっぱい(日曜まで)で終了してあげてはどうかと。

父はもちろん、見守る私たち家族のためにそう仰ってくれたのだろう。

もう充分過ぎるほど頑張っている父を見ている私たちはその提案を受け入れることにしました。


まさに燃え尽きようとするかのように頑張っている父に対して掛ける言葉は

「頑張れ」とか「もう頑張らなくてもいいよ」とか

私たちには到底掛けられる言葉じゃないですね。


願わくば、神様がいるのなら
どうか、最後の最後まで頑張っている父を
どうか、安らかに導いてやって下さいと
祈るのみです。

Return

* Category : 身内事(父のガン闘病記録。)
* Comment : (6) * Trackback : (0) |

* by ぴのこん
言葉にできなくて、コメント入れられてないけど、いつもここ来てるよ☆
お父さんは、どんどんのろを強くしてくれてるね(^^)
強くなったのろに、きっとお父さんは安心してると思う。

きっとね * by ネコいるよ
ずっと、ほんとうにずっとがんばってこられたお父様だもの。みんなの願いが届いて、きっと穏やかに永眠されるだろうと信じています。
ご両親で旅行に行かれた話だとか、次々と思い出しています。素敵な時間でしたね。
ゆっくり心を休めてくださいね。

管理人のみ閲覧できます * by -

ぴのこんへ^^ * by のろ
お返事遅くなってごめんね。
私、強くなったんやろか^^;
でも確かにずっと父の闘病見てきて
普通に生活してたら考えられない
いろんなこと考える時間を持てた。
辛い時間でもあったけど
私という人間にとってそれはきっとプラスになってるんだと思います。
父にありがとうって言わないとね^^

ぴのこん、ずっと見守ってくれてありがとね。

ネコいるよさんへ^^ * by のろ
お返事おそくなってごめんなさい。
最後のひと月くらいから
まともな会話もできなくなっていた父。
何か言い残したいこともあっただろうにと思うんだけど
最期まで頑張る姿を見せることで
私たちに色んな事を伝えてくれたんだと思います。
そんな父はネコいるよさんの仰るとおり
ほんとうに穏やかな最期を迎えることが出来ました。
憎い病ではあったけど
その闘病中の時間はとても濃密な時間でありました。
いい思い出もたくさんですもんね^^

ネコいるよさん、いつも応援してくれてありがとうございました。

匿名さんへ^^ * by のろ
お返事おそくなってごめんね。
そうそう、ちょうど匿名さんと一緒に働いていたころ
発病したんやったね。。。
そう思うとそれからの4年ちょっとって
時間にすると長いような短いようなだけど
やっぱり色んな事があって濃い時間だったんだなと思うね。
父を在宅で看てあげることは出来なかったけど
最後の入院中約90日はずーっと母と私とダンナで
見守ってあげることが出来たので
父の寂しさを少しは取り除いてあげることが出来たんちゃうかなって思ってます^^



個別記事の管理2008-02-26 (Tue)
2月。バレンタインも誕生日もどこへやら。。。

ってまあこういう記念日系にはもとから何をすることもない我が家ですけど^^;

とは言うものの、病院通いの毎日で

非日常的な生活がすっかり日常になってしまっている今日この頃です。


父の入院記録。

もはや、ガン闘病記録というよりは
緩和ケア記録。というべきか。。。

日に日に父が出来ることが少なくなってきています。

脳の腫瘍の影響がいちばん大きいですね。

原発は肺癌だったのだけどその肺自体は術後ずっとキレイな状態で
呼吸に苦しむ事もなくここまで来ていますが

やはり脳神経に異常をきたしているため
現実認識が困難になりまともな会話が出来ず

ここ数日でご飯を口に入れても噛むことは解っているのに
それを飲み込むということが解らなかったり・・。

飲み込むことが理解できても飲み込む力が衰えむせ返ってしまったり

口の中に食べかすが残ってしまうので歯磨き、うがいはつい先日まで
は欠かさず自分で出来ていたのに

いきなりうがいの仕方も解らなくなり、口に含んだ水を飲むことも
吐き出すことも解らなくなり激しくむせたり。

あらためて、脳からの指令って重要なことなんだなあと思う。

肺自体は問題ないのだけれど
呼吸するという脳からの指令が弱ってきているために
取り込むべき酸素量が減ってきてしまい
今は酸素吸入(いまのところ極少量ですが)に頼らざるを得なくなった。

身体も痩せ細り痛み(ガン性の疼痛)が出るようになって
あれ程敬遠していたモルヒネ(アンペック坐剤)を
今は4回でもコントロールが難しくなってきている。

モルヒネ量を追加すれば痛みを感じずにすむのだけど
量が行き過ぎると傾眠する。

家族としてはいくら会話が成り立たずとも
父とコンタクトを取りたいという思いもあり
モルヒネの増量については悩むところ。

だけどもう自分の意思をうまく伝えられなくなった父にとっては
痛みを感じず眠れる事の方がいいのかもしれないだなあ。。。

昨日主治医と少し話しをしたんだけど
どんどん身体機能が低下してきている、
あと一ヶ月あるかどうかという段階にきているだろう。と

そう言われても、いまいち実感は湧きませんでしたが
まあそうなんだろうなと思う。

とにかく出来るだけ穏やかに過ごせるように
無理な負担がかかる投薬や点滴なども使わない方向でいくのが
今の父には最善だろうとのことでした。

Return

* Category : 身内事(父のガン闘病記録。)
* Comment : (0) * Trackback : (0) |
個別記事の管理2008-01-29 (Tue)
随分ご無沙汰しております、、、。

とっくに2008年がスタートしてるっていうのに

我が家では時が止まってるかのように

毎日父の病院通いで、、、。

気付けばもう一月も終わりになろうとしてますね。

全く自分の時間がないワケでもないんですが

いろいろな事を考えるのが億劫になってしまって

というか父の事を思うことでいっぱいいっぱいになってしまっていて

他の大事なことも棚上げしてしまってるような有様の私です。

お仕事で迷惑掛けてる皆様にはゴメンナサイ・・・。


父の入院記録。

予定通り大晦日から1/3までの4日間いろいろ問題もあったんですが
無事に自宅でお正月を迎えることが出来た父。

その後病院に戻り介護保険の認定面接も済ませ
あとは認定が下りるまでの間に自宅へ帰る準備を
進めるだけということで
着々とケアマネさんと話し合っていた矢先に。

1/12の晩御飯を食べ始めた時、

(ベッド上に座る体勢が身体が痩せ細ってしまっている父には
かなり困難になってしまっていたんですが
いつも電動ベッドの背面を少しリクライニングさせた状態でクッションをかませる形で
私か母が食べさせるようにしているのです。)

坐骨の痛みが急に襲ったのか父は激痛を訴え
ベッドの柵にしがみついたまま痙攣を起こしてしまったのです。

即ベッドを寝かせて安静にさせ落ち着いてきたように見えたのですが
それ以来、せん妄(幻覚、幻視等)が激しくなり
現実の認識が殆ど出来ないような状態になってしまった。

私はずっと以前から軽度ではあるが続いていたせん妄は
多量に使用されたモルヒネのせいで
その血中濃度が薄まり消えさえすれば正常に戻るものと
疑わなかったのですが

主治医は年末の頃から父のせん妄は薬の副作用だけでなく
やはり脳にある腫瘍の影響によるものであろうと言われていて

今回の急変もモルヒネを一切使っていない現在においては
脳の腫瘍によるものであることは否定できないと。

悲しい事だけど私もこれは納得せざるをえないことになってしまった。


父のために自宅で介護を薦めてくれていた主治医は
この状態になってしまった今自宅で看ることは
家族にとって大きな負担と不安になるだろうと
そして一番に父自身がいつどのような急変がおこってもおかしくない状態であることを思うと

このまま病院で過ごす方がお互いよいのではないかと言われ

私も母もいろいろ考えた末、主治医も看護師も父の事を親身になって
看てくれるこの病院にお願いすることに決めました。

悲しいのは、父の意思が聞けない事。
全く認識が出来ないわけではなく呼びかけには応じるし
呼びかけた刹那は私の顔も母の顔もわかっているのだけど

その瞬間の後はすぐ自分の幻覚の世界に戻ってしまうのです。

こんな父を見るのはとても辛いことなんだけど
今は側に付いていてあげることしか出来ないのだけど
後どれほどの時間が残っているのかは神のみぞ知るというところ。
父と過ごせる一日一日を大事にしたいと思ってます。

Return

* Category : 身内事(父のガン闘病記録。)
* Comment : (0) * Trackback : (0) |
個別記事の管理2007-12-30 (Sun)
11月末から12月。なんとも慌しく過ぎていき
今日、明日で今年も終わり、、、。

思い起こせば昨年の12月もどんちゃんのことがあり
年末年始気分もさっぱりなかったんですよね。

今年も父の事でバタバタと走り回りあっという間に一ヶ月が経とうとしています。

なんだか12月がキライになりそうです。。。

前回更新から少々空いてしまったんだけど。
父の入院記録。を

父が痙攣を起こして運ばれた加古川市内の救急病院。

前回書いたように色々不信な事が多すぎて、
看護師の連携がまったく出来ていなかったり
医師は医師で、患者である父を一度も診に来ないばかりか
家族である私らの言い分にもまったく耳を貸さず

そのくせ脳に転移があるということで末期がん患者と決め付け
最大量のモルヒネを使いまくり、、、。

父のモルヒネによる副作用での朦朧、幻覚、錯乱はひどくなるばかりで
最終的にはこちらの意見をまったく聞き入れない医師と看護師にたてつく形で
モルヒネを一切中止してもらい、高砂の病院に転院することにした。

転院の手続き中にがんセンターの主治医にも相談をしたのだけど
父の現在の状態は一般的にみると確かに末期という判断をされても
おかしくない病期ではあると。

実際、主治医のうけもつ肺がん患者で遠隔転移のあった患者では
一年前後で亡くなるケースが多いそうで
父の場合は抗がん剤治療、放射線治療の効果が目覚しく良かった例で
主治医自身も父に対しては病期だけではかるのではなく
積極的に治療を行って後ろ向きな事は話さずに
父の事をみていたんだ。ということを話してくださいました。

しかし今後の事については
予定していた副腎の抗がん剤治療は現在の父の状態では見送らざるを得ないということで

ひとまず全ての治療情報を提供するので高砂の病院で体力回復を待つことを進言された。

さらに今後また同じ痛み、痙攣を繰り返す可能性は大変高いので
介護保険の利用と在宅看護なども頭において
整えておく方がよいでしょう。と。


12/20に高砂の病院に転院し
高砂の主治医ともよく話し合って
(こちらの医師は前回入院の際に父の状態をよく診て貰っていたので話が早かった。)
今のところ父に対して痛みも出ていないので何もすることはないが
かなりの量のモルヒネを使っていたので
朦朧、幻覚等が治まるまでしばらく時間がかかるだろうが
経過を見ていこうということになった。

実質、12/9にモルヒネを中止して
現在に至るが当初は朦朧がずっと続き
意識がある時も混濁していて会話はまったく成り立たず
しきりに「この船はどこにつなっがってるのか?」とか
意味不明なことばっかりを言っていたのだけど

高砂に来てから少しづつ日に日にまともな会話も出来るようになってきた。
眠気が来た時はまだ時々おかしなことを言うのだけど。

そんな父を見守りつつ私と母とで今後の事を話し合い
高砂の主治医からもいろいろ話を聞いて
在宅介護、訪問医療をうけるべくその手続きを先日12/28に行いました。

自宅で介護となるとそれなりの準備が必要なのですが
来年1/4に介護保険の認定も行われる予定で
おそらくそれを使って電動ベッドや車椅子なども借りれるようなので

これまた高砂の主治医のすすめで12/31~1/3のお正月期間
外泊許可をもらって自宅で過ごすことになり

実際、家で介護を行ってみてどんなものかを体験してみることになりました。

まだほとんど準備が整っていない家なので不安は不安なんだけど
ムリが生じた場合はお正月中でもいつでも病院に戻ってきていいと
言ってもらっているので
父のためにも母と私とダンナとで頑張ってみようと思っています。

家に帰れば父の意識ももっと覚醒するんじゃないかなって
希望を抱いて。。。


Return

* Category : 身内事(父のガン闘病記録。)
* Comment : (2) * Trackback : (0) |

* by こうたった
のろさん こんにちは。
年末年始はお父様を介護されたのですね。
うちも右半身麻痺の母と2日家で過した時は大変でした。
今は老人保健施設に入っていますが、自宅介護はものすごく大変だと痛感しました。
病院はお父様の病状と経過を把握しているところにもどれてよかったですね。
これからも大変な事があると思いますが乗り切ってくださいね。ご自身もときどき体を休めたり気晴らしすることも大事だと思います。応援してます。ではでは。

こうたったさんへTT * by のろ
お返事遅くなってごめんなさいTT
こうたったさんから頂いたコメントはすぐに読ませて頂いて
とても励みになりありがたく思ってたんですけど
今日記事に更新したような状態で
なかなかお返事が出来なくて。

自宅介護の大変さ、お正月に体験して
私らも痛感しました。
それでも父がまだ少しでも現状を認識できている時に
連れて帰れた事が今となっては本当によかったなと
思ってます。

今後はもう治療などを行う事も無く
不安を取り除いて穏やかに穏やかに父が過ごせるように
側についていてあげようと思ってます。

こうたったさん。ほんとうにありがとうね。
超遅くなってしまいましたが
今年もどうぞよろしくお願いいたします。。。

個別記事の管理2007-12-05 (Wed)
父の入院記録。(再び緊急入院)

先日11/30「身内事24」の記事を更新した日。

そのお昼から父を見舞いに実家に帰った。
その時の様子は確かに以前高砂に緊急入院した時に近いぐらいの
痛み具合でかなり辛そうではあったのですが

11/28に外来で高砂に行った際に処方してもらった
アンペック坐剤(モルヒネ)を通常一日4回使える薬だが
父の場合痛み自体は癌の疼痛ではないし
モルヒネに対しては副作用が出すぎるのもわかっているので(朦朧状態)
ボルタレン坐剤の追加的に
一日1回眠る前に使用して様子を見ているところだった。

散歩出来るようにまで回復していたのにまたこのような状態になってしまい
本人も情けなそうにしていたが自宅療養の為
痛めば身体をさすってやることも出来るしそれである程度緩和もできたはいたのです。

その晩、ダンナも仕事を終えたあと私を迎えついでに見舞ってくれて
父も嬉しそうに会話もしてたのですが
私らがじゃあまた来るね。と言って帰路について(車で)ものの10分ぐらいに
母から携帯がきて父がおかしい!と。
慌ててまた実家に引き返しながら母の狼狽振りを聞いて
すぐ救急車を呼ぶように言って実家に戻った。

また痙攣を起こしており呼んでも反応が返ってこない時間が今までより長く
(この日までに痛みが出だしてから2回痙攣を起こしていたが
1分もしない間に呼びかけに応じていた)
母は異常を感じて私を呼び戻したのでした。

救急車が到着するまでの間に意識は戻ったが痙攣の時間は5分近く続いたと思う。

救急隊員が到着し呼びかけすると返事もしたが
やはり痙攣の症状は脳に問題があるので
脳外科のある病院に搬送するとのことで
一応主治医のいる高砂の病院に連絡をとってもらったが
運の悪いことにその日の当直医が皮膚科の医師しかいないとのことで
受け入れてもらえず、加古川市内の病院に搬送された。

この病院には一度もかかったことがないので
父がCTを受けている間に今までの病歴を伝えたがどうもうまく伝わらない。
CTが出来上がりその日の当直脳外科医がCT画像を見て
腫瘍があることを指摘するが、それはわかっていることで
ガンマナイフをうけていることも伝えたが
ありえないことに私と母に脳に腫瘍があるということは
もうそう長くはないですよ。と余命宣告のようなことをいい
(今までいちどもがんセンターの主治医からも言われてないことを…。)
痙攣をおさえる薬を処方して早く退院できるようにしようという話をされた。

母と私はいっきに不安と不信感に包まれてしまったのだが
また痙攣が起こっては困るのでとりあえずそのまま入院させてもらうことにした。

父は病院に着いてからは意識もしっかり戻っていたが
病室があいていないとのことでその晩はICUに入ることになり
ずっと付き添ってやることが出来ず悶々としながらも
ひとまず入院の準備をしに帰宅した。

翌日、まだICUにいるのでベッドが空き次第部屋を変えてもらうように頼み
夕べの当直医ではない当院の専属の脳外科医の所見を聞けるようにお願いした。

ずいぶん待たされ夕方近くにやっと面談が始まり
やっとじっくり今までの経過を医師に伝えることが出来たのだが
CT画像で脳腫瘍以外に脳出血が認められとのことで
もう一度MRIで詳しく調べてみるとのこと。

痙攣にたいしてはセレニカR(抗てんかん剤)を処方された。

痙攣にたいしての治療は高砂でもされていなかったので
これで痙攣が治まればと少しは安堵したのですが、、、。

その後病室が空き部屋を移動して(二人部屋)付き添っていても
父は寝てばかりで看護師にどうなっているのかを聞くと
ICUにいる間に父が痛みを訴えたので医師の指示で
アンペック坐剤に加えオプソというこれもモルヒネ系の薬を
飲ませているという。

父の場合モルヒネは副作用が出すぎるのでできるだけ少量に控えて欲しいと頼んだが

今の時点では医師の指示にしたがうしかないとのことで
こちらとしても脳の詳しい検査が済むまではそうするしかないのかと
昨日12/4まで一日4回のアンペック坐剤を使用していた。

その間もう意識はずっと朦朧で幻覚のようなものも出てきていて
あきらかに私としては良くない状態だと判断したので

昨日脳のMRIを撮ったので回診の際に医師に徐々にモルヒネを減らすようにお願いした。

今日。MRIの結果を夕方に聞くことになっている。
この結果しだいで痙攣のコントロールができるようならば
早々にモルヒネを中止してもらい一日も早く家に連れて帰って
もういちどがんセンターの主治医と高砂の主治医に
指示を仰ぎたいと思っている。


Return

* Category : 身内事(父のガン闘病記録。)
* Comment : (0) * Trackback : (0) |
個別記事の管理2007-11-30 (Fri)
父の通院記録

前回、放射線治療のために高砂から加古川の病院に転院した父ですが
治療の方は全10回の治療を終え11/9に無事退院しました。

帰宅後は自宅にてまた痛みのぶりかえしがこないようにと
今まで二階で就寝していたのを一階に移し
寝起きがしやすいようにベッドに変えて
少しでもリハビリしやすい環境を整えて負担の少ない生活が出来るように
色々試行錯誤をしておりまして
少しずつではありますが自分でトイレに行くことも出来るようになってきておりました。

お天気の良い日には家の周りを散歩出来るまでに回復してきて
先日11/22の診察日(がんセンター)に行った際も
病院まではダンナの車で行きましたが
診察室に入るまでの院内は車椅子ナシで自力で歩いていくと
父が言うのでゆっくりゆっくりではあったけど
自分の足で歩いて診察に向かいました。

前回(11/1)は車椅子で診察を受けた父が
今回は歩いて診察室に入ってきたのを見て
主治医は回復ぶりを喜んでくださいました。

で、次の抗がん剤治療の話をしてきたのですが
前回と同じドセタキセルを使うかまたは他の薬を使うか
その選択によって入院になるか通院になるかにわかれるため
現時点ではいくら回復してきてるとはいえ
通院するのはまだ困難であろうということで
どの薬を使うにしろ一旦入院の手続きをとって
じっくりどの薬が最適かを考えましょうということになりました。

このがんセンターは他府県からの患者さんも多く
常に満床状態であるため予約を入れてから2~3週間は
待たないといけないのですが年内には入院できる予定。

現在ベッド空きを待っているところですが
今週初めころからまた痛みが出始めたようで
また救急車に運ばれるような事態になる前に
高砂の病院の方へ行き
そちらで親身になって診て下さっている主治医に
痛み止めを処方して頂きました。



前向きにがん治療にあたってきた父ですが
ここへきて他の余病などが多く出ていて
今までのように積極的にがん治療に専念するのが
少々難しくなってきたようで、、、。
高砂の主治医からも今後の治療方針(緩和治療も含め)を考えておく
時期がきているといわれました。

さいわい高砂の主治医は父の肺がんの執刀医だった医師で
胸部外科の医師ではあるが
がんセンターからの治療情報をもらえればこちらでも
抗がん剤治療をすることは可能であるので
状況に応じて受け入れ態勢はとっておくと
仰ってくださった。ありがたいことです。



Return

* Category : 身内事(父のガン闘病記録。)
* Comment : (0) * Trackback : (0) |
個別記事の管理2007-11-02 (Fri)
父の入院記録。(ひと段落つきました。)

前回記事に書いたように10/29(月)退院の予定であったが
もう一週間延ばしてもらって11/5(月)になった。

強い痛みをとるために処方してもらっていた
オキシコンチン内服、アンペック坐剤(ともにモルヒネ)は
副作用が強すぎるということで

10/25からデュロテップパッチという3日間貼り続ける貼り薬を試す。

しかしこの薬も癌の疼痛につかう薬で
モルヒネではないがフェンタニルという麻薬の一種で
父の痛みのもとが癌以外からのものであるため
痛みを抑えるというより副作用が強く出すぎて
ずっと眠ってばかりの朦朧状態が続いてしまい
医師の判断で1日で中止した。

医師いわく、なんとか痛みを取り除いてあげたく
間違ってはいるが苦肉の策として麻薬系の薬を使用したが
やはりこれほど副作用ばかりが出るようでは
痛みを感じなくなっても意味がないので
ちょっとお父さんには痛んでもらいましょう。ということで
最初のロキソニン内服とボルタレン坐剤に戻すことにした。

が、結果、副作用でずっと眠っていたのが功を奏したのか
その間に神経痛や背中の筋肉痛等がかなり和らいだようで
今週はじめあたりからロキソニンのみで痛みがコントロール出来るようになった。

しかし、約一週間寝たきりで過ごした父は脚の筋力が完全に落ちてしまい
歩くことはおろか一人で立つこともままならない状態で
さらに目が以前から見えにくくなっていたので
院内の眼科で診て貰うと
両眼とも「うっ血乳頭」という症状があり
これは脳に腫瘍があるひとに起こる症状で
脳圧があがっている為視神経に圧迫をきたし
視野が狭まってしまうというものだそうで
父の場合右目の視野がほとんど縦長に細長い範囲しか見えていないようである。

脳の腫瘍に対しての治療はガンマナイフを既に済ませているので
この効果が数ヶ月後に現れれば少しは改善される可能性はあるとのこと。

父には見えにくいことを現状として受け入れ、モノを見るときは
顔ごと動かしてどこに何があるかを確認してから動作するようにと
アドバイスされた。

なんだかホントいろいろあって大変です。。。


で、昨日(11/1)一番心配していたがんセンターでの診断日だったが
まず高砂の病院からがんセンターまで車で約1時間、
車以外は車椅子移動で母と私とダンナとで付き添い
途中痛みや吐き気もなく無事に行くことが出来た。

高砂での治療の経過をがんセンターの主治医に報告するのに
素人報告では難しいなぁと思っていたが
高砂の主治医が本来は異例だそうだが治療経過報告書とお手紙を書いてくださり持たせてくれたので
がんセンター主治医にも緊急入院からの父の状態をすべて把握してもらうことが出来た。

そして最大の不安であった副腎と肝臓の1部にある癌の進行状況は
腹、胸部CTの結果
少し大きくなってはいるがまだ緊急にどうこうという状態ではないとのこと
血液検査での腫瘍マーカーは2250(前回1790)でこれも特に問題なし。(想定内の数値である)

この結果を見てがんセンターの主治医は
中断している放射線治療の優先を決め
通院困難な父のために前回まで放射線治療を受けていた
加古川の病院の緩和医療科の医師に連絡をとってくださり
入院の手続きを行ってくれた。

これで残り5回の放射線治療を終えた後

11/22(木)に再度抗がん剤治療(副腎、肝臓)の計画を立てることになった。


無事がんセンターでの受診をすませ高砂の病院に戻り
主治医に報告すると
こちらの病院からも加古川への医療報告を書いて下さると言ってくれ
11/5(月)の早朝高砂を退院し、そのまま加古川に昼前に入院(転院)
するという段取りでいきましょう。ということになりました。



父ですが歩けないは、目はみえにくいはで辛い状況ではあるけれど
痛みの方は和らいでいるし、
この先の段取りも上手くついて、やっと安堵の表情がみれました。
このぶんだと少し元気(気力)も戻りすれば
リハビリしてまた自力で歩けるようになる日も近いように思います。


今回ずいぶんとバタバタとしてしまったが
まるでチームドラゴンではないけれど
各病院の医師の方々の連携のおかげで私ら家族の不安も
ずいぶん助けられる思いだった。

良い環境で医療を受けられることに感謝しつつ
まだまだこれからではありますが家族一丸で頑張っていこうと思います。

そしていつも気にかけて下さって覗きにきてくださってる皆様へ
ご心配おかけしましたがなんとかまた落ち着くことが出来ました。
今後また何が起こるかはわかりませんが
つねに前向きな気持ちで頑張りますので
引き続き応援よろしくお願いしますね。。。(とても心強いんです。)

Return

* Category : 身内事(父のガン闘病記録。)
* Comment : (2) * Trackback : (0) |

* by あざみ
のろちゃん、毎日お父様のことで心配が続いて大変でしょう。
心配しながらお父様の記事をいつも読んでました。
お父様の状態が一段落したとの事で、良かったです。
痛みは本人は勿論それを見ている家族もかなり辛いもんね。。。
心配はつきないし、これからも色々大変だと思うけど
のろちゃんも体壊さない様に気をつけてね。



あざみちゃんへ^^ * by のろ
お返事遅くなってごめんね。
あざみちゃん。いつも気にかけてくれてありがとう!
こうやって見守ってくれてる人たちがいるのが
とっても心強いんです。ほんと。。。

おかげさまで月曜日(11/5)に無事に転院して
中断になってた放射線治療を再開でき
今日(11/9)最後の10回目の治療を終えた後
午後から退院することになりました!!!

まだ病院内では歩行器がないと歩けないんだけど
きっと勝手のわかる家に帰れば
リハビリにも拍車が掛かるんじゃないかな。と
父の頑張りに期待しているところです。^^

ほんと、今後のことを考えると不安は拭えないんだけど
今現在、全ては悪いなりにも良い方向へ向かってると信じて
最善をつくしたいと思ってます。

11月になって朝夕寒くなってきたね~。
あざみちゃんも風邪に気をつけて下さいね^^
ほんとにありがとう。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。